【KD哲学との出逢い】

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私には、10代の頃から、憧れている・・


治療家像があります。

「出逢うだけで治ってしまう治療家」

 
 
妄想・空想をしながらサラリーマンをしていた時代では、

そんなことをイメージしていました。


 
でも、実際に・・この業界に入り、

一治療家となった時から、その概念は崩れました。


 
憧れは持ちつつも・・・

「そんな治療家おれへんやろ・・」と。

 

 
でも・・

開院して6年。

すぐそばにいたことに気が付きました。


 

はい、自分自身です。。(笑)

 

「え?何言ってんの?」

「この先生、そういう類の人ね・・」

 

とは思わないで、もう少し読み進めてください。

 

 
実際には、まだまだなんですが・・

 
以前、こんなことを言われたことがありました。


 

「先生、出逢ってくれてありがとう!」と。

 
 

治療家としては、最高のプレゼントです。


こんなにうれしい、「コトバ」はないと思います。


「治してくれてありがとう」でもなく、

 

「おかげで元気になりました。ありがとう。」でもなく、


「すごい治療方法ですね。素晴らしい。」でもなく、

 
:::::::::::::::

 
「出逢ってくれてありがとう。」


:::::::::::::::

このコトバが胸に響きました。

もしかしたら・・


出逢った時点で治るのは決まっていたのかもしれません。
 


「出逢う」ということが、一番のきっかけだったのかも

しれません。


 
私にも、「出逢っただけで治ってしまう治療家」の欠片(かけら)が

あるのかもしれない。


 
そんなふうに思うようになりました。

 
それは、ある哲学との出逢いがきっかけでした。


 
人との出逢い。

出来事の出逢い。

価値観との出逢い。

いろんな出逢いがありますが、

今回は、「哲学」との出逢いでした。

ーーーーーー

【KD哲学との邂逅・・】


この哲学は、教えてもらったものではなく、

指導してもらったのでもなく、


 
=共に生み出したもの=

なんて、勝手に考えています。(笑)


 
いや・・怒られるかな?(-_-;)

 

 


この哲学を生み出した、仲間であり、大親友であり、


KDセラピーの師匠でもある、西田淳一先生とは、

 


3年以上前に出逢って、親交を深めてきました。


 
 
 


西田先生が、

この哲学を生み、編纂する前から、出逢っていました。

 


なんで・・・

私自身との出逢いも・・この哲学を生む、何らかのきっかけに


なったかもしれない。

 
そんな風に、少し自惚れながら・・(-_-;)


「だから、共に生み出したもの・・」


と思っています。

 

たとえ・・

全体の1%くらいの関わりだったとしても、


映画のテロップに流れてくる、エキストラの一人のようなものだったとしても、


そう思っています。

 

 

というわけで・・


共に生み出した!(かもしれない・・)
 


KD哲学を紐解いていきますね。

  

 
*「治す」を手放すこと。*

 


一時期、私は、治すのに必死でした。

なんとかして治ってほしい。そんな想いでいっぱいでした。


それが当たり前だと思っていました。

治療家なんだから、治すのが仕事。


そう思い続けていました。


 
多くの患者さんも、そう思っていたことでしょう。

私に治してほしい・・と。


でも、「KD哲学」と出逢い、

私は、その考え・必死さを手放すことができました。

 


なぜなら・・

治すのは・・「患者さん自身」だからです。


いつ治るのか、いつどれくらい改善していくのかも、

「患者さん自身」「患者さん自身のカラダ」が決めることだからです。


私には、治すチカラも、いつ治るかを決める権利もありません。


 
私たち、治療家ができることは、

患者様のココロとカラダにそっと寄り添い、


ココロのメッセージを聴き、

カラダの叫びを受け取り、

患者さん自身が、そのことに「気づける」よう、

サポートしていくだけです。


「ただ治る」よりも、大切なことがあるから。

 
そして、私は、患者さんを信じています。


 
「治ってしまう」ために、「出逢った」のだから。

 

 
「治す」ことを手放し、ただ寄り添い、信じる。

この流れになってから、なぜか・・・


「治っちゃう」人が増えました。

 
「症状」が、もういいね!

って、「卒業」していくんでしょうね。



 
「私に任せなさい!必ず、治してやるから!」

このような先生も、一見、ステキだし、

頼りがいがあるように思えるかもしれません。


一時は、このようなタイプの先生も必要かもしれません。


 


でも、いつまでも、このままだと、その先生に「依存」

してしまう可能性があります。


 
 
どうせ「依存」するなら、自分に「依存」してほしい。


私は、そう思います。


 
 
私は、あなたを信じています。


だから、一緒に一歩一歩、必要なことを進めながら、

あとは、カラダに身を任せて・・


そして、「治っちゃいましょう」。

 


この*「治す」を手放す*という哲学は、

人間関係の問題でも応用できます。



*「解決」を手放す*

と言い換えるとわかりやすいかもしれません。


人間関係に多くの方が悩んでいます。

 

当院は、ストレスセラピーなどもやっているので、

そういった、精神的なお悩み、心理的なお悩みの方も、

たくさん来られます。


その人間関係の問題を解決することを「手放す」

 

そうすると・・・不思議と、その人間関係の問題が、

「解消」しちゃう場合が多いんです。


これ、不思議と、そうなんです。

私も、けっこう、おせっかいを焼くほうなので、

何か、人間関係のトラブルのハナシなんかを聞くと、

なんとかして、解決して差し上げたい。

 

と・・・院でも、プライベートでも、

あくせく動いていました。

 

そうすると、余計にこじれたり、

問題が複雑になったり、動いたことが違う問題を生んだり・・

そんなことがありました。

 


 
今は・・・「解決」しようとしません。

いつのまにか、 スーッと離れて、解消できるように、

スパイスをちょっと入れたら、後は・・


「ただ・・待ちます」


そうするだけで、「解消しちゃう」わけなんですね。

 


「治す」

「解決する」


そんなことを手放すと・・


 
今まで見えなかった「景色」が見えてくることでしょう。

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